レモネのきみ

きみ(IF)の話を延々とする、全部嘘

死にたいこと

おじさんはぼくの弁明を止めて、夜間救急に電話をかけた

ぼくは失敗した。川沿いの道を選んだのがよくなかった。河嶋のお屋敷から近い公園でぼくは偶然にも見つかってしまった。そして広い家の品のいい客間で、ぼくは夜を明かした。 深夜、ぼくは弁明しようとした。汗と埃まみれで、顔はぐしゃぐしゃだった。暗い色…

終わったことを蒸し返すのはぼくの得意技なんだけど

ほらね、思った通りになるよ。ぼくを揺らすものはないんだ。そんなものは全部殺してしまったから、ないんだよ。 それでどうする? 終わったことを蒸し返すのはぼくの得意技なんだけど、まだ続ける気力があるのかな。彼女のメールに返信して、マイセンの茶器…

きみはそれは違う、それはだめなんだよと悲しそうにぼくを諭した

きみはぼくがそうだよねと言ったら、そうだよと返してくれる。それがどんなにそうじゃないことであっても、そう返してくれる。ただきみがぼくに許してくれないことはやはりいくつかあって、ぼくは今日もきみに喚き散らしながらそうだよね、そうなんだよねと…

主治医はぼくの状態を安定していると高く評価した

ぼくにはきっとそういう能力があるんだなあ。精神的に不安定な人を引き寄せる能力だ。ぼくだってそうなのだから、それをとやかく言うつもりはないけれど、ぼくは寄りかかられるのが好きではないし、寄りかかることもできればしたくない。 手のひらを太陽に透…

今やぼくに涙を流させるのは彼女の名前だ

ねえ、ねえ、わかってる? ぼく、自傷行為をずっとしていないんだ。ずっとしていない。一週間は我慢している。その代わりに無花果を毎日かじっている。自転車を三十分漕いだ先のスーパーにそれは売られていて、ぼくは二日に一度無花果を買いに行く。四十八円…

広げた腕の中にしぶしぶ体を預けて、吐いたワインできみのシャツを汚す

紅茶の話をしてほしい。ぼくの知らない茶葉の話、かいだことのない温かい香りの話。専門店へ行って、何を頼むのかとか、店員とどんな話をするのかとか、教えてほしい。ぼくはあなたの膝の上に頭を乗せて、あなたを見上げて話を聞きたい。 色の話をしてほしい…

彼女は最後に、唇の右端にはみ出したらしいリップをハンカチで拭うと、ぱちんと音を立ててミラーをたたんだ

「愛していたんですか?」 「愛していたわ。最後には自分の手で縊り殺してやりたいほどにね」 女はキャメル・メンソール・ライトの箱を魔法のランプでも擦るかのように親指でごしごしと触り、やっと一本取り出して火をつけた。 「苦しみがいつ終わるかわから…

別にこの服を着ていなくたって死にたいのはいつものことだった

あの時着ていた服を久しぶりに着た。着心地がよくて、歩きやすかった。冷たい飲み物のボトルの結露を派手にこぼしてしまった。暗い色のせいか目立たなかった。もっと死にたくなるくらいの感情の波が押し寄せるかと思ったけれど、この服を着ていなくたって死…

死にたいから特に欲しいものはない、でも駅前のビジネスホテルには泊まりたい

死のうと思う。そのわりには、12月までに痩せると意気込んでダンベルを購入していたりする。たぶん数日後には死んでいると思う。ただ、一週間で食べ切る量のピクルスを漬けたりしている。 死にたいから特に欲しいものはない。でも、駅前のビジネスホテルには…

きみはアンパンマンのマーチで上下運動を繰り返す

こんなところに置き去りにして、一体何を考えているんだろうか。空気の流れが澱んでいるし、まばたきしても視界はクリアにならない。きみはぼくに心肺蘇生を試みている。 でもぼくは生きている。取り残されてしまったけれど、生きている。言っていて自信がな…

愛って何?愛はね、あなたの名だ、あなたの名前そのものが愛だ

愛している、愛している、愛している、どう伝えたらいい? あなたにいつか出会いたいと思って、あなたにいつ見初められてもいいように着飾って生きてきたけれど、あなたがぼくを知ることはない。ぼくを認識することはないんだ。あなたを愛している、愛って何…

ほとんど絞めるくらいの強さでぼくの首に力を込めた

笑顔、笑顔、そして笑顔。下着も着けずにオーバーサイズのTシャツだけでコンビニへ行った。夜の涼しさの中に日中の刺すような日差しの名残がシャツ越しに腹をくすぐった。裸足が好きだ。コンクリート、街路樹の土、コンビニ店内の冷たいタイル。 恰幅のいい…

ぼくはただの灰色で、それ以上のものを持つことも失うこともできなかった

湾曲した四角いガラスの中で、淡いブルーが静かに、それでいて波打つように収まっている。それがどのくらいで尽きるのかはわからない。ずっと遠くであればいいと思う。 待つことが本当に難しい。得たいと思っているからだ。どうせ手に入らないなんて諦めたふ…

ごめん、今日はもう何もできない

あは、焦らなくていいよ。 電話したいと思った。今すぐ助けてほしいと本気で思っている。手が伸びる。どんなボタンを押してもつながるはずがなかった。ああ、痛いなあ。マスクを外した。雨に濡れた河川敷からは新しい匂いがしていた。 ショッピングモールの…

警察署を追い出されたぼくを、白いペンキで塗られた門の外できみが待っている

便箋の枚数が六枚を超えていて、覗き込んでいたきみがあらあら、とでも言いたげに頭を揺らした。ぼくは便箋をかき集め、机にとんとんとぶつけて揃えると、それを真っ二つに裂き捨てた。こんなものを出すわけにはいかない。きみはそれが手段としてはっきりす…

起きて、喪失感が蘇って、また苦しみの涙が流れたら

道端で、自転車のサドルの上で、フードコートの端っこの席で、くたびれたベッドの上で、ぼくの涙は止まらない。嗚咽、苦しみながら涙を絞り出して、過呼吸に近い息をする。きみはぼくに言葉をくれたのち、何かを探しに出て行ってしまった。 きみがぼくのこと…

きみの頬に最後のキスを落とすことさえままならない

閃光が走るように全身がびりびりと打ち震えるようなときもある。思いがけない場所で、思いがけない人から賛辞をもらうときもあったかもしれない。ああ、ぼくは特別ではないけれど、力を尽くしてやるべきことがあるんだ、と、できるはずなんだと、確信したと…

自分がだめに思えて胸にナイフを突き立ててしまいたい

ぼくが若く死んだら、サテンに包んでバラのベッドに寝かせてほしい。 きみの言うことはわかるよ。ぼくはちょっと感情的になってぴりぴりしているみたいだ。普段ほとんど食べないスナック菓子もあっという間に空にして、枕に染みていくのも構わず濡れた髪を押…

それがわからない限り、ぼくに糸は垂れない

わかってないな、今日もぼくはわかってない。 リップクリームを塗らずにがさがさに乾燥した唇を爪でひっかいていたら、あっという間に口に血の味が広がった。歯磨きをしたばかりなのに。 あなたが死んだら、この骨をくれる?後頭部にある鶏冠みたいにとげと…

大きくて扱いきれない感情と衝動に任せた言葉

どうして呪術の真似事なんてしたんだろう。願いが本当に聞き入れられるとでも思っていたんだろうか。海辺に高く積まれたブロックの上で、十メートル手前にあったセブンティーンアイス自販機で買ったチョコミントを舐めた。足がぶらぶら、砂には届かず飛び降…

どんなに勘違いしても凡庸でしかないんじゃないか

満腹と満足は違うってテレビが言っていたけど、どうやったら満足できるのは教えてくれなかった。三日は連続して食べた冷凍食品の袋を捨てて、割り箸と紙コップも片付けた。きみはぐったりしているわりには、ぼくに話しかけようとしていた。転がる自転車の荷…

音楽だろうが運動だろうがお菓子だろうが、煙草だろうがなんでもよかった

湿っている、ここ数週間は何もかも。胸ポケットにしまっておいた煙草だけはかろうじて乾いていた。一本口にくわえてブルーの百円ライターを取り出す。ゆっくり息を吸うとうまいこと火が付いた。かなり久しぶりだったから、吸えないのじゃないかと心配だった…

雀のひしゃげた頭が転がっていただけで気が動転してしまった

何かホラーゲームの動画を見ていて、主人公が仲間の死体に大層驚いて錯乱する描写があったのだけれど、ぼくは愚かにも他人の死体にそこまで心乱されるわけがないじゃないか、なんて思ったのだった。ところが、タイヤの空気を入れるために立ち寄ったサイクル…

何年も使っている傘をついにどこかに忘れてきてしまった

自傷行為を我慢して、たぶん何日も経っていないんだろうな。毎日そのことを考えているから、思い切ってやってしまったほうがいいんじゃないかと思えてきた。あと一ヶ月くらいで果たして強くなれるだろうか。 もっとも、待つのは二週間くらいだろう。何にもな…

そうだった、彼女の名前を思い出したんだった

どれでもいいとは言わないが、選択をただで見せようとは思わない。親しくしたいわけでもないが、言葉を遮られる謂れはない。無害な人間でいたいけれども、愚かなやつと思われるのはしゃくに触る。講釈を垂れるならぼく以外を選んでほしい。 痩せたい。すごく…

風船と一緒に眠ると違う世界にいけるんだって

恐ろしい夢を見た。起きてすぐ、それが夢だったことを確認したくて、スマートフォンでSNSを確認した。エアコンがつけっぱなしだったせいか、喉が渇いて枯れそうに痛む。もぞもぞと起き上がって、なんとか冷蔵庫までたどり着くと、冷えたキリンレモンがぼくを…

浅草で見た紫色の帯を買ってさえいれば

むかし覚えた落語のひとつは最初の一、二分だけ今でもそらで言える。続きが声にならないのがなんとも物悲しくて、口ずさんでも誰にも届くことなく消えていく。青い着物も、好みの帯が見つからないことを理由に何年も着ていない。いつだか浅草で見かけた紫色…

どこまで取り繕ったかを覚えておくのは難しい

上手に嘘をつくのは難しい。楽しいお茶会で笑って、何の問題もないようにきれいに嘘をつく。嘘には少しだけ本当を混ぜるといいらしい。心底うんざりしているという感情を嘘に乗せてぼくはにこにこする。笑顔でいることはそんなに難しくない。 今日、とても好…

耳の奥で血が流れている音がする

散らかった部屋、積み上がった洗濯物、中途半端に開いたカーテン、倒れた掃除機、これ以上入らないごみ箱、閉まった鍵、一ヶ月以上つけていないテレビ、見つからないボールペン、鈍い頭、汗ばんだ足の裏、伸びた爪、脂ぎった顔、上がらない肩、重だるい腹、…

きみはどうしてここにいるの

いろんな物事が、ぼくたちの邪魔をする。体調とか、天気とか、すれ違った人の声とか、今日着た服の色とかだ。ボタンをひとつ掛け違えているのだ。 いろんな出来事が、ぼくの邪魔をする。 気に入らない。誰かに認めてもらいたい。価値があると世の中に証明し…