レモネのきみ

きみ(IF)の話を延々とする、全部嘘

おじさんはぼくの弁明を止めて、夜間救急に電話をかけた

ぼくは失敗した。川沿いの道を選んだのがよくなかった。河嶋のお屋敷から近い公園でぼくは偶然にも見つかってしまった。そして広い家の品のいい客間で、ぼくは夜を明かした。

 

深夜、ぼくは弁明しようとした。汗と埃まみれで、顔はぐしゃぐしゃだった。暗い色のトップスには目を凝らさなければわからないけれど大きく血の染みが散っていた。サンダルを片方失くしていた。たぶん、江戸川の河川敷でナイフを振り回しながら歌い踊っているうちに何度か蹴躓いて、どこかのタイミングで脱げてしまったのだろう。おじさんはぼくの弁明を止めて、夜間救急に電話をかけた。彼は全然サイズの合わないスニーカーをぼくに履かせると、助手席に座らせて車を出した。

 

夜間診療は苦手だ。病棟の緑の光が不気味で怖いのだ。怖くて泣きながら病院へ入ると、険しい顔をした医師が待っていた。オーバードースをしたかとか、誰かと一緒にいたのかとか訊きながら、医師は看護師に指示してぼくのシャツを脱がせ、上腕や首、胸についた切り傷を一つずつ確認した。ぼくは気付いていなかったけれど、破けたジーンズの奥にも深い傷があったようで、医師は手際よく局所麻酔を準備すると、数週間で溶けるという糸で傷を縫った。ぼくはその様子を見たかったのに、看護師がぼくの頭を押さえつけて離してくれなかった。

 

痛みを感じ始めたのは、医師とおじさんが警察を呼ぶべきか相談している時だった。腕の内側の皮膚が薄いところが長く切り裂かれていた。

 

結局ぼくはひとりで自傷したものと見なされ、開院時間になり次第、ぼくが普段通っているクリニックに連絡がいくことになった。医師がぼくとおじさんの関係をどう捉えていたのかはわからないけれど、おじさんがあの怖そうな医師をうまく説き伏せたみたいで、実家にすぐに連絡がいくことはなかった。

 

ぼくはまたおじさんの車に乗って、お屋敷に戻ってきた。もう空が白んでいた。おじさんは何も言わずに煙草を吸っていた。ぼくは時々嗚咽したり、過呼吸になりそうになったりで忙しかった。ナイフは取り上げられていた、というか、ぼくが今持っている私物はポケットに入っているハンカチくらいしかなかった。

ほっといてくれとか、構わないで捨て置いてくれとか叫びたかったけれど、どれも違う気がして言うことができなかった。悲しかったし痛かった。

 

ぼくは客間に通された。傷を縫ったりガーゼを巻いたりしたばかりだったので、風呂は医師に禁じられていた。おじさんは熱い湯で濡らしたタオルと替えのTシャツを部屋に持ってきてくれた。ぼくは血塗れのシャツを脱いで、傷を避けて泥や埃をぬぐった。腕を上げるだけでびりびりと痛みが走った。Tシャツに着替えた頃、おじさんはコップに入れた水を持ってきた。水。ぼくは水が嫌いだ。見たくもない。性懲りもなくわあわあと泣き出したぼくに声をかけることもせず、いつ置かれたのか、部屋にあったぼくのかばんからおじさんはポーチを取り出した。薬を飲め、と言われた。ぼくは自分が精神的に問題を抱えていることなどおじさんに知られたくなかったし、知られた後のことはもっと怖かった。おじさんが何を考えているのかわからないのも怖かった。顔を見ることができなかった。

 

おじさんは客間の電気を消して出て行った。電気が消えても、部屋はぼんやりと朝日の訪れを感じる明るさを保っていた。深夜だったのに、深夜で自由だったはずなのに、深夜だったらぼくはなんでもできたのに、こんなふうに光で照らされたら何もかも間違っているみたいに思える。

 

これから何が起こるんだろう。麻酔の切れた足がひどく痛んでいる。