レモネのきみ

きみ(IF)の話を延々とする、全部嘘

ぼくに味方がいるという気づきさえ、唐突な嘘みたいに感じられて拒みたい

きみと一緒に彼女がぼくのために祈ってくれていることに気がついて、ぼくは飛び上がるくらいびっくりした。ぼくのために祈ってくれる人が、きみ以外にもいるのだということをぼくはやっと知った。 一番起こってほしくないことを想像した。ぼくの皮膚はたちま…

心臓は静かに遅いテンポでぼくときみの体を鳴らし続けている

ありがとう! ねえ、また遊ぼうね。 ぼくのために泣いてね。 あれはビーツだったはずだよ。どっちでもいいか、紫色ならどちらでも。 黒髪の女の人を見かけたよ。ぼくに笑ってくれたんだ。ぼくが二十八歳だって言ったら、私は三十だよって教えてくれた。ぼく…

誰もぼくに話しかけない、ぼくを見ない、ぼくのことを知らない

どうぞ、あなたの願いを話してみてください。 ぼくの願いは、道端の石ころになることです。誰もぼくを気に留めず、ぼくに気付かず、ぼくをまなざすことがない。誰の会話の話題にもぼくは上がらない。 ねえ、今日花瓶の水誰が替えてくれたんだろう。 さあ。知…

バラ、パフューム、ケイキの女

この小さなワインバーを経営して六年になる。それなりに地元の客がつくようになった。一人でふらりとやってくる客が多い。リピート率はそこそこ。 カウンターには女が座っている。女は常連だ。毎月第二土曜日に女はこの店を訪れる。もう四年くらいの付き合い…

天秤が狂っているのかぼくが悪事を働いたのか誰がわかるというんだ

二つを天秤にかける。天秤は傾く。ぼくは上に上がってしまったほうに人差し指を置いて力を込める。バランスは逆になって、ぼくは皿の表面にべったりと付いた脂ぎった指紋をハンカチで拭う。天秤が狂っているのか、ぼくが悪事を働いたのか、誰がわかるという…

たといレッドテグーになったとしても

動物にならなければならない。 違うな、ぼくはすでに動物だ。そうではなくて、人間でないふりをしなければならない。また嘘をつくのだ。嘘をつくのは得意だ。 マリコのことを思い出す。彼女をひどい目に遭わせるのはこれで三度目だ。彼女は愚かにもぼくを憎…

誰かがぼくの嘘を糾弾してくれやしないかと淡く期待している

たぶんこうやって座ってはいけない椅子に座って何回も読んだ本を開く。何回も読んでいるのに、ぼくは植物と動物を隔てる要素を覚えることができない。なんとなくは理解しているのに、まだ難しいよ。そしてぼくは業務用エレベーターの前から追い出される。 鯨…

繰り返し悪夢を見るんだ、夢の中では誰も助けてはくれない

ピンク色のアイスクリームを食べたらきっとすごくすごく元気になるよ。ああでも、減量中なんだった。こんなに気分がいいのに、手足は痺れて立ち上がるたびひどいめまいに襲われる。何が悪かったんだろう。 きいろい封筒、これはぼくが勇気を出した結果だ。な…

生活を投げ出そうだなんて考えたことは一度もないよ

ぼくはこんなにうまく生活できているのに、どうしてみんなわかってくれないんだろう。主治医は薬の処方を増やした。そのせいでぼくは一日中眠くなってしまった。雨が降っている。タイヤが水溜りに潜っていく音が聞こえる。 手のひらが裂けてしまったので、し…

置いて行ったことをきみは怒らなかった、たぶん悲しんだのだろう

爪が赤い。赤がこんなに強い色だなんて思わなかった。しなびた灰色の手の指先だけ大仰に鮮やかだ。 部屋は暑かった。数日ぶりに冷房をつけた。ごみ箱からは一週間前に捨てたキムチのパックのものであろう臭いが漂っていた。自分のベッドに転がってぬいぐるみ…

おじさんはぼくの弁明を止めて、夜間救急に電話をかけた

ぼくは失敗した。川沿いの道を選んだのがよくなかった。河嶋のお屋敷から近い公園でぼくは偶然にも見つかってしまった。そして広い家の品のいい客間で、ぼくは夜を明かした。 深夜、ぼくは弁明しようとした。汗と埃まみれで、顔はぐしゃぐしゃだった。暗い色…

彼らは長い眠りから目覚めてぼくを地獄へ連れて行こうとしている

もう彼らを幽霊と呼ぶことはできない。彼らは長い眠りから目覚めて、ぼくを地獄へ連れて行こうとしている。懐かしい場所であることは確かだ。 ねえ、でもそれは、混沌ではなかった? 苦しみが伴ったのではなかった? どうして今これ以上かわろうとするんだ?…

終わったことを蒸し返すのはぼくの得意技なんだけど

ほらね、思った通りになるよ。ぼくを揺らすものはないんだ。そんなものは全部殺してしまったから、ないんだよ。 それでどうする? 終わったことを蒸し返すのはぼくの得意技なんだけど、まだ続ける気力があるのかな。彼女のメールに返信して、マイセンの茶器…

明日、明後日、明々後日、ぼくはすばらしい三日間を過ごす

ここに記しておこう。ぼくは明日に怯えている。明日、ぼくは自分を傷つけることを許した。ぼくだってめいっぱい考えたのだ。考えた結果、それはよくないことだと判断した。けれど明日そのつもりでいる。何時にするかを決めあぐねている。 ああ、馬鹿だ。ぼく…

どうしてぼくは乙姫様に会ってはいけないの

朝、ぼくはドンという大きな音で目覚めた。背中に痛みが走って、自分がベッドから落っこちたことをやっと認識した。頭もしたたかに打っていて、それで、肩も足も痛くて、それでぼくはどうしたんだっけ? 酸素ボンベが必要だ。ぼくは浦島太郎なのかもしれなか…

きみはそれは違う、それはだめなんだよと悲しそうにぼくを諭した

きみはぼくがそうだよねと言ったら、そうだよと返してくれる。それがどんなにそうじゃないことであっても、そう返してくれる。ただきみがぼくに許してくれないことはやはりいくつかあって、ぼくは今日もきみに喚き散らしながらそうだよね、そうなんだよねと…

一層強く腰を動かした後、おじさんはぼくの左手首を掴んで顔を押し当て香りをかぐように大きく呼吸をした

麻雀をやっている間だけは、何もかも忘れて、ハツが来たら役牌でいつでも鳴けるのになあとか、うまくソーズを捨てられたなあとか、遊ぶことに集中できた。雀荘の窓際が日焼けしそうな強い日差しを中に取り込んでいたとしても、受動喫煙で肺が汚れていったと…

気弱で穏やかな、パン屋の脇のベンチでかたかたと震える幽霊にもう一度会いたい

今日はくたびれてしまった。炎天下の中歩き回ったからだろう。いつもなら自転車で通る道を、ばかみたいに汗を垂らしながら歩いた。目が太陽光にやられてしまったような気がする。 幸いなことに食欲はあった。ぼくはいつも弁当を完食する。残飯の捨て方がわか…

その時間が過ぎるのを耐えるだけでも打ち勝ったと言えるのだ

もうしばらく耐えなければならない。しばらく耐えなければならない。時間を信じるしかないのだ。そこにただ居るだけでいい、その時間を過ごすだけでいい、何もしなくたって死にはしないし、何もしないなんてできるはずもない。 おかしい。眠くて仕方がない。…

ぼくはカウンセラーではないし、自分を守るために電話を切らなければならない

電話が鳴る。着信音は穏やかな音色だった。ぼくは嫌だなと思いながら電話を取る。相手はぼくを捌け口にしている。ぼくはカウンセラーではないし、ぼくは自分を守るために電話を切らなければならない。冷静に伝えるにはどうしたらいいかと考えあぐねているう…

主治医はぼくの状態を安定していると高く評価した

ぼくにはきっとそういう能力があるんだなあ。精神的に不安定な人を引き寄せる能力だ。ぼくだってそうなのだから、それをとやかく言うつもりはないけれど、ぼくは寄りかかられるのが好きではないし、寄りかかることもできればしたくない。 手のひらを太陽に透…

これはぼくの決意表明で、嘘偽りない話だ

これはぼくの決意表明で、嘘偽りない話だ。ぼくはあのまま自分を清浄な言葉で覆ったまま切り売りを続けるより、今こうして一人で明日を考えず部屋にいるほうがずっといい。君を不思議な気持ちと、苛立ちと、嫌悪と憐憫で守ろうとするより、彼女の香りを胸に…

そんな言葉は知らないけれど、きみが毎日言うんだからそれはあるんだろう

部屋の掃除をして、洗濯を回して、排水口にハイターを吹きかけて、ハイターのあの奇妙に不安になる塩素の匂いをかいでいた。キッチンにいると幽霊が話しかけてくることが多いのだけれど、今日は少し涼しくなった浴槽で膝を抱えて空想に耽っているようだった。…

自分が欲しいものを欲しいと表明することを恥ずかしく思わない

恥ずかしくないと思う。ぼくはまったく似合わないオードパルファムをつけて、その香りをマスク越しに嗅ぎながら、ぼくは自分が欲しいものを欲しいと表明することを恥ずかしく思わなかった。 さらさらした手触りのワンピースも、ベルトが銀色に輝くサンダルも…

幽霊はきみに、ぼくが幸せになれるはずがないと言った

ぼくが小さな画面で映画を見たり、熟れすぎたトマトを冷蔵庫から発掘したり、使ったエコバッグをたたんだりしている背後で、幽霊は不安に駆られていた。幽霊は透けた足で鳴らない足踏みを繰り返し、そのいらいらをきみにぶつけていた。きみは冷静に幽霊の不…

それはやっぱりぼくには馴染みようもない大人の女性の強く煙る香りで、彼女の香りだった

えっ、とぼくが素っ頓狂な声で驚く様子を、彼女はちょっと気まずそうに見ていた。 ぼくは気が早いことに、彼女と同棲する計画を立てていた。同棲と言っても、彼女の部屋にぼくが転がり込む形でなし崩しに同居を始めるような、そんなずさんな計画だ。でも彼女…

そこにある不安に触らないようにして、憎悪を氷漬けにして、娼嫉を塗りつぶして

自転車の上で気を失う直前、ハンドルからずり落ちそうになるぼくの両手へきみが両手を重ねた。この感覚は久しぶりだった。ペダルからほとんど離れようとしていたサンダルは一度半回転させたそれへ再度乗せられた。ぼくはあの部屋のベッドにたどり着くことも…

今やぼくに涙を流させるのは彼女の名前だ

ねえ、ねえ、わかってる? ぼく、自傷行為をずっとしていないんだ。ずっとしていない。一週間は我慢している。その代わりに無花果を毎日かじっている。自転車を三十分漕いだ先のスーパーにそれは売られていて、ぼくは二日に一度無花果を買いに行く。四十八円…

広げた腕の中にしぶしぶ体を預けて、吐いたワインできみのシャツを汚す

紅茶の話をしてほしい。ぼくの知らない茶葉の話、かいだことのない温かい香りの話。専門店へ行って、何を頼むのかとか、店員とどんな話をするのかとか、教えてほしい。ぼくはあなたの膝の上に頭を乗せて、あなたを見上げて話を聞きたい。 色の話をしてほしい…

彼女は最後に、唇の右端にはみ出したらしいリップをハンカチで拭うと、ぱちんと音を立ててミラーをたたんだ

「愛していたんですか?」 「愛していたわ。最後には自分の手で縊り殺してやりたいほどにね」 女はキャメル・メンソール・ライトの箱を魔法のランプでも擦るかのように親指でごしごしと触り、やっと一本取り出して火をつけた。 「苦しみがいつ終わるかわから…