レモネのきみ

きみ(IF)の話を延々とする、全部嘘

一層強く腰を動かした後、おじさんはぼくの左手首を掴んで顔を押し当て香りをかぐように大きく呼吸をした

麻雀をやっている間だけは、何もかも忘れて、ハツが来たら役牌でいつでも鳴けるのになあとか、うまくソーズを捨てられたなあとか、遊ぶことに集中できた。雀荘の窓際が日焼けしそうな強い日差しを中に取り込んでいたとしても、受動喫煙で肺が汚れていったとしても、そこはぼくの居場所になりつつあった。

 

ぼくが通う雀荘には、周りから明らかに嫌われている人がいた。その人から見てシモチャに座ると、彼はシモチャの動きを真似するのだ。煙草をふかす仕草とか、牌を数える指先とか。ぼくもみんなと同じようにそれが嫌だなあと思っていたけれど、同じ場で遊ぶ限りは一緒の卓になるときはある。ぼくはどうにでもなれと思って、覚えている数少ない手話を披露してみた。「ありがとう」、これは真似された。おちょくられているのだ。そのあとしばらくじっとして、親がツモを引いている隙に、「ぼくは美術館巡りが趣味なんだ」と手話で彼に話しかけた。美術館を巡る、という手話はぼくにもちょっと難しくて、彼が真似できるはずもなかった。彼は一瞬ぴたりと止まり、荒々しく牌を切った。

 

その局は彼の勝利で終わった。怒らせてしまっただろうかと怯えながら卓を離れようとすると、彼に呼び止められた。彼は自販機でコーヒーを奢ってくれようとした。カフェインは苦手なんだと言うと、ガキだなと吐き捨ててバヤリースオレンジを買ってくれた。

 

河嶋のおじさんは地元じゃわりと有名な名家のご子息らしかった。家がでかいんだと自慢されて、ぼくはその家を見に行くことになった。門構えからして立派で、本当に古くからある建物だとわかった。家は広いのに、河嶋のおじさんは一人でそこに住んでいた。母親は亡くなり、父親は養護老人ホームに入っているのだと教えてくれた。週に一度やってくるハウスキーパーのおかげで、屋敷は整然としていた。

 

河嶋のおじさんは慣れた様子で台所に立ち、ぼくにあんみつを出してくれた。それから部屋を一つひとつ案内して、珍しい茶器や掛軸を解説してくれた。ぼくはそういうものに興味があったから、意外と饒舌なおじさんの説明を神妙に聞いていた。おじさんと呼んではいるが、ぼくとおじさんは一回り離れているだけだった。

 

河嶋のおじさんは最後に寝室として使っている和室を見せた。畳が痛まないようにい草のマットの上に大きなアイアンフレームのベッドが置かれていた。周りには写真に関する月刊誌がばらばらと積まれていた。おじさんがどうする? と訊いたので、ぼくはいいよと言った。その日もぼくは彼女の香水をつけていた。

 

河嶋のおじさんはきっと、別に雀荘でなくたって、あちこちで出会った性別がめすの人間を家に呼んでいるんだろうなと思った。ぼくもその一人で、これは大したことではなかった。ぼくが腹を痙攣させると、おじさんは一層強く腰を動かした後、ぼくの左手首を掴んでそこに顔を押し当て香りをかぐように大きく呼吸をした。ぼくは久しぶりの行為に出血してシーツを汚してしまったことを詫びた。河嶋のおじさんは気にせず、シーツを丸めて洗濯室へ持っていった。彼はぼくの体に触っているときは楽しそうにしていたけれど、息が整う頃にはひどく寂しげだった。ぼくは勝手に冷蔵庫を開けて、おじさんが数日に一度ポットに作っているのであろう麦茶をいただいた。

 

あっちいなあ、とぼくが言うと、河嶋のおじさんは長いため息をついた。ぼくはおじさんの話なんて聞くつもりはなかったけれど、彼は話し始めた。五年前に奥さんが出ていってから、ずっとここに一人で暮らしているのだと言った。ぼくにも彼女がいるけれど、今は離れて暮らしている。そう言うと、おじさんはたじろいで、悪かった、一人だと思ったんだ、と呟いた。

 

この家は風呂の造りも豪勢だった。金持ちっていいなあとぼくは思った。

 

帰り際、河嶋のおじさんは、お前は勝つときはいい役で上がるのに、普段の負けっぷりがひどいな。どうせそんなに金もないんだろう。次遊べるように貸してやる、返さなくてもいいし、と言ってぼくに一万円札を四枚渡した。四万円というのは、ぼくが初めてあの雀荘で遊んだときに負けた額だった。ぼくはそれを受け取った。玄関から門まで連なった石畳をこつこつと鳴らしながらぼくは河嶋のお屋敷を後にした。ぼくは体を売ったのだろうか。四万円で、体と時間を売ったのだろうか。どうしたらいいのかわからなくなって、ぼくはそれを財布には入れなかった。