レモネのきみ

きみ(IF)の話を延々とする、全部嘘

それはやっぱりぼくには馴染みようもない大人の女性の強く煙る香りで、彼女の香りだった

えっ、とぼくが素っ頓狂な声で驚く様子を、彼女はちょっと気まずそうに見ていた。

 

ぼくは気が早いことに、彼女と同棲する計画を立てていた。同棲と言っても、彼女の部屋にぼくが転がり込む形でなし崩しに同居を始めるような、そんなずさんな計画だ。でも彼女のほうだって、例えばぼくが五年前に八千円で購入したちゃちなベッドフレームを処分して、二人のためのキングサイズのベッドを検討しようとするくらい、この同棲に前向きだった。

 

風向きが変わってしまったのは、彼女に海外主張の仕事が舞い込んできたからだった。長期出張。ぼくはそれはもう落ち込んだ。今のぼくはとにかく彼女と一緒にいたかった。彼女のそばにいることが唯一の幸せだった。彼女の出発が近づくにつれて、ぼくはどんどん不安になってしまって、彼女が戻ってきてはくれないんじゃないか、そもそもぼくなんかが彼女と居ることが間違っているんじゃないか、などと女々しく涙を見せる日が続いた。

 

空を裂く飛行機で遠くへ行ってしまう前日、彼女はなぜかぼくの狭いアパートに泊まりにやってきて、ぼくが眠るまで髪を撫でてくれた。その夜、ぼくはやっぱり夢の中で孤独に手足を縛られて、情けない声を上げながらすすり泣いたらしかった。起きた時、彼女がそう言っていた。彼女はぼくの部屋を出ていく直前、ぼくの掌に見覚えのある香水のボトルを渡した。彼女が気に入りを何種類か持っているうちの一つだった。ぼくは彼女がこの香りを身にまとっているところが大好きで、彼女の体臭と混ざってより深く官能的に香るそれをぼくの脳はかわいそうなほど覚えきっていた。

 

彼女とぼくは全然違った。スタイルも、センスも、大切にしているものも。この香水を選んだのは、ぼくとかけ離れているからだと彼女は言った。ぼくとは絶対に混じり合わないこの香りを、毎日どこかにまといなさいと言った。絶対に他人である私を嗅げるでしょう、あなたは鼻が敏感なんだから。私がいるとわかるでしょう。

 

そして彼女は、早めに戻るわ、となんてことないみたいにさらりと別れの挨拶をして、ヒールを鳴らして部屋を出ていった。ヒール、あの音もぼくは心の底から好きだった。ぼくは黒いボトルのキャップを開けて、手首にひと吹きしてみた。それはやっぱりぼくには馴染みようもない大人の女性の強く煙る香りで、彼女の香りだった。