レモネのきみ

きみ(IF)の話を延々とする、全部嘘

心に実体があるのなら、一番尖った部分を終電の座席に置き忘れてしまったに違いない

心を傾ける、他人に心を割く。親愛をもって、明るいポピーの咲いた封筒を買う。ペンを執って宛名を書く。心のしるしがついた便箋を丁寧に折る。届け先がこれを読むところを想像する。できる。この手紙は相手を傷つけない。読みながら、きっとぼくに心を寄せてくれるはずだ。そういう類の手紙だから、校閲の必要はなかった。

 

ぼくは確かにほっとしたのだ。あの時、もう背負わなくてもよいのだと、面倒を感じずに済むのだと、自分自身の心を疲弊させずに過ごせるのだと安心したはずだった。だからそれでいいはずなのに、感情は一筋縄ではいかないし、心に実体があるのなら、ぼくのそれは一番尖った部分をあの終電の座席に置き忘れてしまったに違いない。あれは欠けやすい形だったから。

 

炎天下でのきみとの会話は、もうどちらも鮮明には思い出せない。水を飲んで日陰に座るようにきみが言った。くらくらした体を支えていられなくて、知らないマンションの玄関にへたりこんだ。しばらくするとマンションの前に車が停まったから、ぼくは重い体を引きずってまた日差しの中を歩いた。きみはまた水を飲むように言った。ぼくは帽子をとって、頭の上でペットボトルを逆さにした。

 

ぼくの顔や首をはね返り、水はきみの頭をも濡らした。背中を伝って下着が湿っていく。恥ずかしいことに、きみはぼくが涙をごまかしたことに気付いていた。どうやってもあの欠けた部分が帰ってこない。終点駅に問い合わせても、遺失物としては回収されていなかった。

 

殴られたい。四肢の自由を奪われたい。どんなに力を込めても動けないと絶望して諦めたいと思う。自分の渾身の力をねじ伏せるほどの力が返ってくるなら、その瞬間は一人ではないだろう。熱中症ならそれに近いかもしれない。